現代社会におけるポスト合理性の問題 : マックス・ヴェーバーの遺したもの

編著者土方 透 編著
判型四六判
ページ数262 ページ
製本上製
発行日2012年03月
ISBN978-4-915832-96-3 C3010
定価3,520円(10%税込)
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内容紹介

本書は「ポスト合理性」=「合理性をはみだしたもの」を問題にする。近代は「宗教」と「科学」との相克のなかで合理性を展開してきた。近年、そうした合理性には収まりきれないさまざまな表象が、ある魅力をもって喧伝されている。それは近代が失ったものなのか、あるいはポスト近代の徴候なのか。本書は、マックス・ヴェーバーの理論に定位しつつ、「ポスト合理性」を浮き彫りにすることを試みたものである。カール・アッハム(グラーツ大学)、ヨハネス・ヴァイス(カッセル大学)による二つの論考、それに対する姜尚中、細見和之、荒川敏彦、土方 透によるコメントとリプライ、さらにコメンテータによる3本の論考が収められている。

編著者プロフィール

土方 透(ひじかた・とおる)
1956年東京生まれ。中央大学大学院文学研究科博士後期課程修了。社会学博士。現在、聖学院大学政治経済学部教授。Forschungsinstitiut für Philosophie Hannover,Würzburg大学哲学部等の客員教授を歴任。

K・アッハム(Karl Acham)
グラーツ大学名誉教授。 翻訳された論文として「ヨーロッパの文化と社会の現状について」(塚本正明訳)、「マックス・ウェーバーと現代」(向井守訳)、『社会学論集』奈良女子大学、1996。「ヴィルヘルム・ディルタイの文化・社会哲学の現代的意義」(斉藤渉・柳沢貴司・梶谷真司訳)、『人間存在論』(京都大学『人間存在論』刊行会編)第2巻(1996)ほか。

J・ヴァイス(Johannes Weiss)
カッセル大学名誉教授。 翻訳された論文として「宗教史から宗教社会学へ――エルンスト・トレエルチとマックス・ヴェーバー」(土方透・荒木忠義訳))『聖学院大学研究所紀要』第2号(1991)。「『プロテスタンティズムの倫理』論文の両成稿――比較解読の必然性と有効性」(茨木竹二訳)『聖学院大学研究所紀要』第11号(1997)ほか。

姜 尚中(カン サンジュン)
1950年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。現在、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授。東京大学大学院情報学環・現代韓国研究センター長。

荒川 敏彦(あらかわ・としひこ)
1972年生まれ。一橋大学大学院博士後期課程単位取得退学。現在、千葉商科大学商経学部専任講師。

細見 和之(ほそみ・かずゆき)
1962年兵庫県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。人間科学博士。現在、大阪府立大学人間社会学部教授。詩人。

上記内容は本書刊行時のものです。

目次

緒言 (土方 透)

第Ⅰ部
行為、歴史、および説明の原則としての合理性――マックス・ウェーバーに関する考察(カール・アッハム/渡會知子訳)
カリスマ――社会学の境界線上で(ヨハネス・ヴァイス/佐藤貴史訳)

◇アッハム、ヴァイス両教授へのコメント
  姜 尚中コメント
  荒川敏彦コメント
  細見和之コメント
  土方 透コメント

◇アッハム、ヴァイス両教授の応答
  アッハム教授の応答 (渡會知子訳)
  ヴァイス教授の応答 (佐藤貴史訳)

第Ⅱ部
マックス・ヴェーバーの学問論と知識人の運命――「ポスト合理性」の時代を見据えて(姜 尚中)
宗教と経済の緊張関係――「中間考察」にみる動的歴史展開のモメント (荒川敏彦)
ポスト合理性の陥穽――合理性をめぐるせめぎ合いと近代(土方 透)